ピアノが旅立った日

私の実家は福岡県北九州市です。

北九州で連想されるのは玄界灘、無法松、八幡製鉄所、若戸大橋・・・といったところでしょうか。

はい、ズバリ田舎です。

私はこの街でピアノを勉強しました。

最初は紙鍵盤から
そしてスイッチで電源を入れるオルガン、
少1の夏にアップライトピアノ、
少4でグランドピアノを買ってもらい
18歳で音大受験をしました。

 

少4でグランドピアノを選びに行った時、
鍵盤が重くてとっても驚いて

その時に試弾したモーツァルトのソナタ12番、3楽章では
腕が痛くなって、ガーン・・・

アップライトとグランドの格の違いと
自分の実力の乏しさを目の当たりにしたんですね。

すごく悲しくなったのを覚えています。

 

それに
あまり信じてもらえないかもしれませんが、
私は目立つことが嫌いで、
知らない場所が苦手です。

試弾に来たくせに、
たくさん並んだピアノに圧倒されて、
あまり触らなかったような気もします。
(今だと、嬉々として試弾しまくると思いますが)

 

音楽をしている家族が誰もいないなかで
グランドピアノを買うということは
一介のサラリーマンの家庭にとっては
大きな買い物だったと思いますが、
母は、180cmを超えるピアノを選んでくれました。

今でもその時の嬉しかった気持ちや、
「がんばろう!!」って気を引き締めた時のことを覚えています。

昨日、そのピアノが第2の人生へと出発しました。

実は、このピアノは12年前、
まだ私がイタリアに住んでいた頃、
パリにある美しいプレイエルが欲しくなって
そのピアノを手放して元手にしようと考えたことがありました。

母に頼んで引き取り業者を決めてもらい
いざ搬出、となった時

「やめてください!!」

と母は思わず叫んで
ピアノを売るのをやめたそうです。

「なおちゃんが、小さい頃からあんなに一生懸命練習してきたピアノは売れない」と。

私の練習していた後ろ姿が目に焼き付いて
どうしても手放せなかったそうです。

 

それから12年たって再び我が家から本当に去る日がきました。

理由は、楽器として生まれた以上、
全く弾かれないまま置いておくのは
楽器にとっても良くないし、
そして
この楽器で幸せになる人がいるのなら
その人の元へ行って欲しい。

そう思ったからです。

 

搬出後、母と話しました。

母は、

「無事に、お嫁に行ったよ。傷一つない綺麗な状態やったよ。大切に使いよったもんねぇ。蓋を閉める時も丁寧だったよね〜」と言いました。

 

 

「お嫁」かぁ・・・・

うん、そうか・・・

新しいところで、可愛がってもらうんだよ・・・
大切にしてもらうんだよ・・・

 

 

これでよかった、と思いますが、涙が溢れて止まりませんでした。

 

 

私を育ててくれたピアノさん、35年間、ありがとう。

ピアノを買ってくれたお父さん、お母さん、ありがとう。

忘れません。

 

 

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