ここ最近の事など

今秋は自身の研究を新しい角度から再アプローチしはじめたことに少々不安を感じたり、相変わらずうだつのあがらない語学への課題に追われつつ、昨年末からの体調不良、祖母の召天など、神様からの気付きをたくさん頂いた数ヶ月でしたが、どういう訳か心は穏やかでした。

研究に関して言えば、語学をしっかりすることで、本をもっと早く効率よく読めるだろうから、毎日苦手な外国語を読んで、ある程度の決まり事を覚えてしまおう、これはチェンバロの通奏低音と同じで、訓練さえ積めばどうにかこうにか出来るのではないか、と思いはじめました(・・・いや開き直りはじめたという方が良いかも)。

思えば、11カ国語を話すような天才と変人の紙一重たちと一緒にいた訳ですから、そんなの自分が出来る訳がないのです。最初から同じ土俵に上がることが間違えでした(苦笑)ゆっくり行くさ。

また占いの視点からみた時間の流れが、3年前のある時期からいきなり急速になった、といわれています。とにかく1日が早い。 時間芸術の中にいる私の仕事は・・・演奏の場では特に妬み、嫉みの世界ですので、うわさ話も大好き、人から聞いた陰口なども、わざわざ知らせてくる、ちっちゃな人間もいます。

そしてそういう人間・・・実は男が断然多いです。女の嫉妬より男の嫉妬の方がたちが悪い。 Facebookなどにも、悪口を書いたり愚痴を垂れ流したりするのは、私の知る限り、大抵男かゲ○です。

しかしこちらはそいういうことに振り回されるような時間はない、バカバカしい、ということで、ここ数年は物質的にも、そして対人関係にも断捨離をしてきました。

私の好きな言葉に「縁を大切に」という言葉がありますが、人を誹謗中傷する人に「縁」を感じる程、お人好しではいられません。何より時間が勿体ない。 彼らの源には「自分を構って欲しい、自分と演奏して欲しい」というのが殆どで。その思いを素直に言い表せない人が、良い音楽を演奏できるはずはありませんね。小学生か、っての。

そういう、もがいている人からは早々に離れて、シンプルに、自分が欲しいものを欲することに恐れずに、好きなものを大切にして、神様からの恩恵に感謝しながら過ごしていると、気付けば周りには、攻撃する人もなくなり、50代へ向けて自分らしく生きる土台ができつつあるように感じています。

そんな中、日曜日に小学生以下の生徒さんにお声がけをして、希望者で発表会を開きました。 一番長い生徒さんは4年間の在籍で、幼稚園生だったあの子たちが、2年生、3年生となって、緊張しながらも、一生懸命頑張ってくれた姿に、嬉しい思いと、私の元へ長く通ってくれていることへの感謝の思いがわき起こりました。

これこそが「縁」ですね。大切にしたいと改めて思いました。

発表会後、ぶなでお茶をしました。

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ホッとしましたョ。

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