バロック、古典を美術からみる
バッハを弾きたい、と思っても
バッハだけを勉強していても上達のリミットがあります。
学術の論法の一つに
一つのことを研究するためには
別のものと対照させてみよ、という方法があります。
だから当アカデミーでは
音符が読めるようになったら
時代やスタイルの違うものを
少なくても3冊、
多い子だと5冊、6冊、と
弾かせるのですが、
それでも最初のうちは、
どれも同じようなタッチになったり
時代が違うのに、
どれも同じ解釈になってしまうことはあります。
でもここで悲観する必要は全くありません。
一度や二度のレッスンで、
すぐにその違いを習得できるほど、
ピアノ道は平坦ではないのです・・・
(そこが楽しいのですけどね^_−☆)
例えばバッハのインヴェンションを弾くようになると、
だいたいソナチネアルバムも弾く、
というレベルになるんですよ。
ですがこの二つは時代が異なるので、演奏法が違ってきます。
それは演奏技術だけではなく、メンタルな部分も変わってきます。
メンタルの部分は、演奏技術ではほとんど補えません。
だからピアノを弾いているだけでは、上手くならないし、本質を見逃してしまうのです。
バッハの時代の「バロック」という様式は、
実はその根底は秩序がありながらも、自由さや奔放な激しさ、というものがあります。
絵画でいうとベラスケスの《王太子バルタザール・カルロスの騎馬像》
風になびく帯の躍動感あふれる様子は
こちらにも風を感じますよね。
画家の視点が思いっきり近くて、迫力満点。
こうしたイメージは、
音楽でいうところの装飾音であったり、
思わず体も一緒に動きたくなるようなリズム感ともリンクします。
対して、古典、というと、
レオナルドやラファエロなどの作品を思い描いていただくとわかるように、
安定した秩序がそこにある、と言う感覚でしょうか。
レオナルドの《最後の晩餐》はその典型的な例ですね。
この構図を見てすぐに気がつくのは
キリストを中央に置き
左右対称に弟子を6人ずつ並べた、
左右完全に均衡の取れた構成です。
人物一人一人が、それぞれ変化に富んだポーズをして、
3人ずつのグループにまとまるように描かれるという、美しさ。
それぞれが全く異なるポーズをしているのに、
全体の秩序のなかに見事に美しく調和しているという・・・
この左右の構成や、キリストの姿に代表されるような、
ピラミッド型の構成は、
古典主義的表現の基本で、
いずれも動きのない安定した秩序感を与えます。
しかし登場人物に多様な動きをさせて、
全体が単調にならないようにさせているんですよね。
(レオナルドってば天才すぎる!)
こうした形式美を視覚から取り込むことは、
ピアノを演奏する上で、非常に大きな助けになります。
ソナチネアルバムに収録されている曲集から
この古典の「高貴な単純さ」
「静謐な優美さ」
「安定した静けさ」
「厳格な秩序」を体験し、
その後のモーツァルトやベートーヴェンのソナタへの準備をしていくといいと思います。
さてここで聡明な方は
美術史と音楽史でいうところの
バロックと古典を指す時代が違っていると思われると思います。
全くその通りで、
音楽史でいう古典の年代は、
美術史だと新古典と言われるムーヴメントになるので、
音楽史の古典をさらに深掘りするためには
美術史の「新古典主義」も視野に入れる必要があります。
美術史でいう新古典主義というのは、
バロック様式やロココ様式を否定する形で現れたもので、
とりわけギリシャの芸術を模範としたものです。
神話を題材にしたものが多く、
「崇高」や「脅威」といった精神性に訴えかける作品も多いです。
興味のある方は色々と調べてみてください。
私はこの新古典主義の作品を音楽とリンクさせて理解を深めるには、建築がいいなと思います。
ミラノのスカラ座は18世紀後半、まさに、
モーツァルトの生きていた時建てられた、
水平と垂直のラインが強調された均整の取れたフォルムが印象的です。
ミラノで勉強していた時に、
実際に教授から、
古典派を演奏するときはこの建物をイメージしろ、と言われました。
対してバロックはこんな感じ。
ぐにゃぐにゃですな。
ということでちょっと長くなりましたので、今日はこの辺で。
バロック、古典、新古典辺りはたくさん本も出ているので、
調べてみてください。
ではでは