ラジオをお聞きくださりありがとうございました
チェンバロ・ピアノ奏者 水野直子です。
ご訪問ありがとうございます。
11/6放送のラジオ、お聞きくださりありがとうございました。
私は放送中、
食事に出かけていたのですが
(タイ料理が大好きなので、誕生日もタイ料理をリクエスト)
放送後はSNSやメールで、
「聞いたよー!」のご連絡を
ピアノの先生や生徒さん達からたくさん頂いて、
恐縮したり恥ずかしくなったりでした。
お聞きくださった皆様、
ありがとうございました。
ピアノの先生からのご感想には
・先生の笑顔の裏に、そんな悲しい出来事があったなんて・・
・壮絶な生活だったのですね
・あの部分はスカッとしました
・上品な語り口なのに、内容はシビア
・当たり障りのないことよりも、そういうことが聞きたかった
など、
あ・・あそこの場面ですね(汗)
やはり強烈でしたね。
ええ、私もちょっと本当のことを語りすぎたかな、と思ったのですが
収録時、
「いいんです、話してください」
とおっしゃってくださったので、
そのまま放送となりました。
生徒さんからは
・私は先生に比べるとまだまだ甘かったです
・こんな私が習っていいのですか
・イタリアの話がもっと聞きたい
・先生は普段は穏やかなのに、演奏すると熱い理由がわかりました
・先生が優しいのは、苦労があったからですね
など、こちらの方が恐縮してしまう感想をいただきました。
今日はあの部分に関して、少し付け加えます。
日本にも(その人にとって)いいところ(好きなところ)もあるけれど、
そうでないと感じるところもあるように、
どこの国へ行ってもそれはあるでしょうし、
そしてそれが国でなくても・・個人に対してもありますよね。
日本に住んでいると、日本人として生きていれば
「日本人としての差別」は感じられません(男女差別など、他のものはありますが)。
今回、私は外国へ行ったことで、ありがたくもこの経験をしました。
住んでいる時はこの経験をするたびに、心が折れそうになりました。
サースという鳥インフルエンザが中国で流行っていた時、
学校へ行く途中
反対側の横断歩道を歩いていた団体から
「サース!」と叫ばれたこともあります。
その時はさすがに、
家に帰って泣きました。
「私」を外見で、
これほどあからさまに判断する人に
日本では会ったことはありませんでした。
でもこの経験によって、
当たり前ですが
「人を人種で判断してはいけない」と心に刻めたし、
逆に、イタリアで友達になった人は、
だからこそ一生の宝となりました。
そして私の人生にピアノがなかったら
こんな経験はできなかったのだから、と
ピアノをますます好きになりました。
見ず知らずのイタリア人からの差別に腹立たしく思いましたが、
逆に、見ず知らずのイタリア人に助けられたこともあります。
夏の暑い日、
長いレッスンの1日が終わり、疲れ切って
帰る前にコーヒーを飲もうと
立ち寄ったところ、
お金を払う段階で
「君の分は、ある紳士がもう払ったよ。疲れているようだったから」
ということもあれば
母とヴェネツィアへ旅行していた時に
レストランで順番待ちをしていたら
そこの常連の方から
「ヴェネツィアへようこそ」とワインをご馳走していただいたり
ある小さな美術館では
「日本から来てくれたのだからここは無料でいいよ、でも内緒ね」など
書ききれないほどの幸せな思い出もたくさんあります。
よかったことも、悲しかったことも、辛かったことも、嬉しかったことも、ぜーんぶ、私にとっては芸の肥やしです。
悪いことは何一つない(^^)
来年は、帰国10年となり、
私にとっては一つの節目になります。
どんな年にするのかは自分次第。
やりたいことはたくさんあります。
変わらないことは
これからも今までのことに感謝をして
前に進んでいく、ということだけです。
生徒さんは 随時受け入れ中です。
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