バロック音楽の速さと音について (インスタライブより)

先日、思い立ってインスタで話したんですけどね。

またしても、余計なこと言っちゃったかな、と思ったりもするけれど、
もういいや。
自分が話したいことを話しちゃえ〜。

今回話したかったことは

  1. 速さ

の2点。

速さ

バロックは、「ピアニスト」の指の速さを競うものではないんだよね。
もちろん「速い」曲もあるけれど、それは「チェンバロ」の音が鳴る速さ。
ピアノの打鍵に流されて、すべらせるように弾くと簡単にスタイルから逸脱します。

と書くと、「は〜ん、チェンバロの人たちって、指動かないんじゃ〜ん」や「チェンバロはピアノよりも楽器としては劣るのね」というアンポンタンなことを思う人もいるかもしれない。

その考えは全く違いますからね〜。
時代が進んで、いろいろな楽器を触れる現代の私たちだからこそ、各々の楽器の良さを引き出す演奏をして、共に、のちの時代にこの芸術を残していきましょうよ。

話を戻しまして・・
逆に、ピアノの響きを味わいすぎてゆっくりしてしまうと、これもその曲の要旨が崩れてしまうのよ〜。

あと、これは私の想像なのだけど、バロックの楽譜は情報が少なすぎるので、「せめて、楽譜通りにくらいは弾かなければな!」という固定観念が、良くも悪くも身についてしまっていて、リピートする時の一呼吸が入っていなかったりする。。。
これは、水野も通ってきた道だから、気持ちが痛いほどよくわかるんです・・


それはリピートだけではなくて、それ以外のところにも「息がしたい!」と思わせられることが多々ありました。
緩めていいところに、肩をちょんちょん、と叩いて一緒に息をしてあげたい。

コンクールだと、余計に緊張しちゃうからこそ、普段から息を吸うことを大切に生活してほしいです。


暴力的な音になっていないか

コンクールを受けるくらいのテクニックがあるのですから、バロック時代の音数は、物足りないこともあるでしょう。

「音が少ない分、バロックは難しい」「音が少ないから誤魔化しができない」という声を聞きます。

確かに、人間も都合が悪くなれば、饒舌になったり、頭に血が上ったりする人もいるかも?・・・でも、「あぁ、取り繕っているのね」と分かりますよね。

音楽でも同じことが言えると思うんです。
なんと言っても、演奏は、その人の生活や性格がどうしても垣間見えますから。。。

音が少ない部分に勢いをつけすぎたりしていませんか?
例えば短調のトッカータの冒頭部分に、ドラマティックな短調をイメージして、リストやラフマニノフのような大音量ではじめてしまうと、エレガントさとは真逆な暴力的で粗野な導入となってくるのです。

こうした導入部分をチェンバロで弾く場合、もちろん気持ちは「ドラマティック」ではありますが、必ずそこには「気品」が必要です。
重い2段鍵盤を使っていたとしても、「楽器を最大限に響かせる」ため、決して打ち付けないタッチで、いえ、むしろより一層手指の感覚を明瞭にさせるテクニックが必要となるのです。

また最近「休符」の大切さについても語られるようになりましたが(これは本当に良いこと✨)、音のない空間を楽しむことへの喚起とともに、一音しかなっていない音を楽しむ余裕、というのも訓練していくべきだなと思います。

少ない音が楽しめない理由の一つは、「自分と音」の二人っきりの世界に入り込んでいないことが挙げられると思います。

でもここで注意していただきたいのは、それが「長い時間」なのではないということです。
0.01秒の空間を味わうだけで良いことも多いです。

「これでいいのかな」「自信がないな」と思いながら演奏していると、呼吸は浅くなりますね。

語りだすと止まりません。
今日はここまで。またライブやブログで語りたいと思います。

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