聖数「3」と3拍子
水野直子です。
今日は
聖数「1」と「2」に続いて
「3」について書いていきます。
「1」と「2」についてはこちらをご参照ください
「3」は私たち音楽をする者にとっては拍子にリンクする部分があります。
私も初めて知った時は、「ヘェ〜」となったものです。
3
キリスト教信者でなくても「3」が
キリスト教の三位一体を表す数としてご存知の方も多いと思います。
三位一体とは、
一つの神が
三つの異なった位格(ペルソナ)を持つ、
という意味です。
その三つの位格とは
- 父なる神
- 子なるキリスト
- 精霊
です。
絵画には三位一体を表す構造があります。
この3つの位格は、
「神は唯一である」という
キリスト教の教義上、
一つに結び付けられます。
ここにその図、
中世以来使われてきた
三位一体の盾(または信仰の盾)から
その関係を見てみます。
中央に神、左上に父、右上に子、下に精霊が配されていて
父は子ではなく、子は聖霊ではなく、聖霊は父ではない(時計回りで読んでいます)が
神は父であり、子であり、精霊である、
というものです。
さらに、この三つの位格にはそれぞれ
- 神には「力」
- 子には「知恵」
- 精霊には「愛」
という役割があります。
こうした背景もあって
「3」は「完全なる数」と考えられ、
中世では
3拍子の記号を「完全な拍」であることを示す
丸
で示していました。
対して2拍子は、
完全ではない、
つまり不完全な拍ということで
円を欠けさせた半円
でした。
現代では
この半円は英語の「C」に当てはめられ
読み方も「シー」となっていますが
元々は「不完全」を表す半円だったのです。
レッスンで3拍子を教える時、
大きく腕で円を書かせながらレッスンします。
3拍子を拍感よく演奏するときは
こうして1小節をひとくくりとして考えると
上手くいくのです。
概念と音楽的感覚が同じというのは、とりわけ面白く感じます。
原罪を償うキリストとしての「3」
前回の数字「2」の項で、原罪について触れました。
そしてイエスはその原罪を償うために生まれてきたとも書きました。
そのことについて、ここでもう一度触れてみます。
キリスト教には
教会の祈りの時間というものがあります。
(難しい言葉では聖務日課と言います)
それぞれ以下のような名前があります。
◯朝課(夜半)
◯賛課(夜明け)
◯一時課(早朝)
◯三時課(午前9時)
◯六時課(正午)
◯九時課(午後3時)
◯晩課(夕)
◯終課(夜)
の8時祷です。
そのうちの
三時課(午前9時)に
キリストは有罪判決を受けます。
そしてその時間は、
旧約聖書によると、
神がアダムを作った時間です。
ということはつまり
キリストは、人間の罪(現在)を贖うための生贄となった
と、ここでも考えられるわけです。
聖書に現れる「3」
数字「3」については
他にも聖書のなかにたくさん現れます。
- 旧約聖書に登場する絶対神、ヤハウェに対して「聖なる、聖なる、聖なる」という言い回しが使われた
- キリストが十字架で亡くなった際、3日間黄泉の国を彷徨った
- 旧約聖書において、ヨナが魚の腹の中に三日三晩とどまった
- 天使には三階級ある。
第一階級 | 熾天使(セラフィム)、智天使(ケルビム)、座天使(トロヌス) |
第二階級 | 主天使、力天使、脳天使 |
第三階級 | 権天使、大天使、守護天使 |
階級としては下位の大天使あたりですね(ミカエル、ガブリエル、など)
- イエスは、福音を伝える活動をする前に、荒野で悪魔による三つの誘惑をしりぞける必要があった。
- 十字架を背負わされて刑場へ行くまでに3度膝から崩れ落ち、午後3時に生き絶えたが、三日後に復活した
- 三つの神徳「信仰と希望と愛」
など、まだまだありますが
挙げるときりがないので、今回はここまでにしたいと思います。
他にこんな意味を発見したよ、
というものがありましたら
是非教えてください(^^)
それではまた