聖数1と2
この記事は、ピアノの先生用のメルマガからの抜粋となります。
というのも、
以前ブログに先行して
メルマガにて「7色の虹と7つの階段」の記事を書いたときに
もっと数字に隠された意味を知りたい、
というお問合せがあったので
不定期ではありますが
これまでの水野の集めた資料をまとめる感じで
メルマガに書き始めました。
こちらブログでは
不特定多数のかたが閲覧されると思いますので
メルマガとはまた違う書き方をしますが
よろしければお付き合いください。
水野が扱う数字について
本記事で主に扱う数字は
聖書のテクストと対照させながら
シンボルとしての意味を
探ろうとしたものです。
占いに使う数字はカウントしません。
また、一つの数字に
いくつもの意味があるものもありますが
ここでは主なものを記載するにとどめたいと思います。
内容は、
主に、水野がイタリアの
ヴィチェンツァ国立音楽大学大学院で勉強していた
ノートをたどりながら書いいます。
1
数字の1は、
神の数とされています。
キリスト教では、単一性や唯一性を強調する数字です。
![](https://naokomizuno-piano-cembalo.com/wp-content/uploads/2022/10/Cima_da_Conegliano_God_the_Father.jpeg)
2
「この世は二元論によって成り立つ」と
ドイツの神学者 シュミット
(J. J. Schmidt, Der biblische Mathematicus, 1731 ) が論じているように
「2」という数字は
●敵対
●対立
さらには
●分割
●分離のシンボルと考えられます。
具体的には
神と人
天と地
善と悪
昼と夜
精神と肉体
男と女
右と左などです。
ここまでは、
少し調べるとたどり着けることかと思いますが
もう一つ
水野がイタリアの授業で
教えていただいたことを
書いてみます。
聖書には
神(数字の1)は
神の似姿と全く同じように
「人間(アダム)」を創造した、
とされています。
![](https://naokomizuno-piano-cembalo.com/wp-content/uploads/2022/09/dac065e185c6c8946fb16b5f1d069b7f-1024x684.jpeg)
そこで数字の「2」は
「人間」を表す数字である、
という考えもあるそうです。
それゆえに、「2」という数字にも
「唯一性」が潜んでいる、と教わりました。
とはいえ、
神と全く同じ姿で作られた人間は
神から禁止されていた
赤い実(知恵の木の果実)を
食べたために(これを原罪といいます)
![](https://naokomizuno-piano-cembalo.com/wp-content/uploads/2022/10/b17fb14e515c47cd72c5acefaba230ff.jpeg)
楽園から追放され(失楽園)
![](https://naokomizuno-piano-cembalo.com/wp-content/uploads/2022/10/320b324b7c2ba7159a0a73a4e9fc9d71.jpeg)
その際に神と同じだった姿は変えられて
そして神と会えなくなったとされています。
その原罪をあがなうために
この世に送り出されたのが
キリストである、
という考えがあるそうですが
これも宗派によってはいろいろだそうです。
聖書は、ファンタジーか、あるいは本当の物語か…?
皆さんはどう思われますか?
実は「2」には
今回取り上げたものの他にも
まだ意味があるようですがまとめきれていません。
引き続き、リサーチを深めていきたいと思います。
皆さんからの
「他にもこんな意味を見つけた!」という
お便りもお待ちしています(^^)
次回は「3」へ進みます。