インヴェンションを、チェンバロとピアノで弾くことの楽しみ
今日はチェンバロ奏者らしからぬ(?)お題です。
なぜかというと、チェンバロ奏者のなかには、ピアノを毛嫌いしている方も多いから。もちろんその逆もあるわけですが。
同じ鍵盤楽器だけど、各楽器の演奏者には結構スプレマシー(至上主義)を持っているものだから、私のようにどちらの世界も大好きな人間にとっては、公の場へ行くと、あちこちで質問攻めにあうこともなきにしもあらず。
ん〜、私に質問するよりも、直接本人(楽器)に聞いてみるといいと思うんです。
これを人に反映して考えてみてください。
「人類皆兄弟」、っていうじゃないですか〜。
未だに差別のある時代だけど、でも、差別の背景にあるのは、「相手(モノ・コト含めて)への恐怖」からくるものだったりしますよね。
でも、その恐怖を一旦横に置いて、自分から(ここ重要)歩み寄って、話を始めて、そして相手と自分との共通点を探してみるといいです。
「あ、私と同じだったんだ」ってことがわかると、安心できて、そうしたらもっともっと心がオープンになって、相手のことをもっともっとわかるようになる。
そうすると最初に感じたわけのわからない恐怖なんか吹き飛んで、相手への対応策がわかるし、それによって自分を客観的に再認識することができる。
だから、まず、知らないモノと対話する勇気が必要だよね。これは、チェンバロもピアノも同じことじゃないかなぁ。
今日はこの気持ちを踏まえて、書いてみようと思います。
先日、インヴェンションをチェンバロで弾く、ピアノの先生向けのセミナーを開催しました。
インヴェンションで、どうして、こうも人を惹きつけてしまうのでしょうね。
楽曲の素晴らしさ、美しさはもちろんですが、大人になってもインヴェンションに惹きつけられるのは、私が経験上思うのは「幼少期、ないしは青年期のトラウマ」に、その一つの原因があるような気がします。
私がピアノを勉強し始めた頃のメソッドは
バイエル → ブルクミュラー → ソナタ → ソナチネ |
という大きな流れがありました。
そのなかで、バッハの《インヴェンション》は、ブルクミュラーの後半くらいから、突然渡されて、私はとにかく戸惑いながら弾いていました。
私のこの経験は、ピアノの先生あるあるのトラウマとして、ほとんどの先生にもあるようです。
このトラウマを克服して、バッハをもっと身近に感じるようにしたい!という先生が本当に多い。
実は私もそう思って、トラウマになっているバロックに、楽器を変えるほど、覚悟を決めて、対峙してきました。
勉強に終わりはありませんが、今はチェンバロでもピアノでも、バロック音楽を弾くことに喜びを感じています。
たとえはバッハを、まず
- ピアノで、ピアノ寄りで弾くか
- ピアノで、チェンバロ寄りで弾くか
の選択ができて、かつ
- ピアノで、ピアノ寄りだけどチェンバロの要素を入れる
- ピアノで、チェンバロ寄りだけどピアノの要素を入れる
こともできるわけです。(注:チェンバロでは、チェンバロの弾き方しかできませんけどね)
では先週、収録した演奏は、どちらでしょうか。
それではまた!
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