演奏前に作曲家について調べてみよう →キルヒホーフのbiographyを記載しておきます
モーツァルトやベートーヴェンは
ピアノを弾いてことのない人も知らない人は
ほとんどいないと思いますが
彼らと同時代の作曲家を勉強することで
さらなる引き出しが増え
ますますと有名作曲家の曲の理解が深まることが
往々にしてあります。
というか!
みんな、
メジャーな曲ばかり弾いてるんじゃな〜〜い!
と言いたくなりますが
まぁそれは、ただ単に「知らない」ってだけなので
そこは講師の腕の見せどころ、というものですな!
そして、勉強の仕方、というのを伝えるのも、講師の仕事。
ピアノはただ「弾く」だけでは、全く上手くなりませんからね。
その一つはね、うん、やはり、本を読もう!ってことです。
ピアノレスナーさんのレッスンでも、
「ここわかないから、もう先生に聞いちゃお」と丸投げさんが結構いるんです。
最近は、世界中の資料も、ネットさえ繋がっていれば、ある程度検索できる時代になりましたから、そこはどんどんと利用して欲しいところです。
あ、そうそう、自分から調べることのできない残念な人を
ググレーヌ
と呼ぶそうですよ。
私、この言葉に、吹いちゃいました。
さて、しかしグーグル先生も、
元の資料が公開していないとお手上げ、となります。
そこは、検索ワードを変えて、あの手この手でこちらも頑張りたいところで。
しかし頑張っても頑張っても出てこない時やフェイク情報もありますので、やはり、ここは「本」です。
私が、というか音楽やっていれば常識の、ニューグローヴ世界音楽辞典。
これが一家に一冊あればいいのですが、何しろ高い。
私も買えませんが、そこは卒業生に手厚い武蔵野音大が、Oxford Music Onlineを提供してくれているので(日本語には対応していません)、感謝しています。
今日の記事の着地は、キルヒホーフの経歴について、なのですが
まさに彼をオンラインで調べようと思ったところ・・・
武蔵野音大図書館の1年更新の利用期限が過ぎていて、サイトが閲覧できなくなっていたorz・・・
ので、仕方なく自転車をこいで行ってきました。
で、キルヒホーフの略歴を調べてきたので、このブログでもシェアしますね。
キルヒホフ・ゴットフリート Kirchhoff Gottfried
(1685年9月15日ビッターフェルト近郊ミュールベック生、1746年1月21日ハレ没)
ドイツの作曲家、オルガニスト。
ゴットフリート・キルヒホフはヘンデルと並んでツァッホの最も優秀な弟子の一人であり、ライプツィヒのオルガニストやシュタットプファイファーの音楽の伝統を教え込まれた。
1709年にホルシュタインーグリュックスブルク公の学長となった。
11年にクヴェーリンブルクのオルガニストに任命され、14年にはハレに移って聖母教会のオルガニスト兼音楽監督となったが、この職はその前にJ. S. バッハが辞退したものであった。
16年に、バッハ、クーナウ、ロレが、クンツィウスによって新たに作られたオルガンを試奏するためにハレを訪れた。キルヒホフはこのオルガンの奉納式典のために2曲のカンタータを作曲している。彼はまた、大学の式典(1733)やハレの宗教改革200年(1741)を祝う音楽の作曲をし、自ら指導をした。
(続きはニューグローヴ世界音楽大事典を参照してください)
キルヒホフはヘンデル、バッハ、クーナウとリアルに交流があったし、死後は、モーツァルトの父レオポルトが、息子アマデウスのための楽譜帳に、彼のヴァイオリン作品を入れていたそうです。
有名なモーツァルト一家の絵画
幼いモーツァルト、姉ナンネル、父レオポルト(wikimediaより)
あなたもキルヒホーフ、是非弾いてみてください♫
詳しくはこちらでご紹介しています
子供さんは練馬区氷川台、平和台、桜台、早宮、光が丘、北町、和光市、文京区、葛飾区、豊島区、千川から、
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