ピアノ指導者であり演奏者であること
先週、銀座の素敵なホールで行われた
ピアノリサイタルへ行ってまいりました。
演奏は大学&大学院時代の同級生。
私たちが学生をしていた時代は、
ピアノ科の学生だけで450人在籍していた時代でした。
声楽家は250名ほど、
弦楽器も50人以上、
そのほか木管・打楽器、教育学科、作曲家、音楽学科などを含めると
一学年1000人を超える大所帯でした。
そのうち、ピアノ科で大学院へ進めたのが
23名だったかなぁ。
今は、ピアノ科の1学年はだいたい80人ほど、
声楽科の学生も20名ほど、
ということですから、
少子化に加え、心の豊かさを大事にする家庭が
残念ながら少なくなってきたのではないかな、と感じます。
もちろん、日本経済が低迷していることも
深く関係しているとは思います。
そしてその経済の低迷が、大人の心を暗くして
未来への不安を募らせて
生きるために直接必要なものにお金を払っても
心の豊かさにお金を払おうとする配慮が薄くなっているのではないでしょうか。
さて、本日のお題は「ピアノ指導者であり演奏家であること」です。
実は、世のほとんどのピアノ指導者は、
演奏家とは切り離して考えている人たちの職業です。
・・・オブラートに包みましたが、
ぶっちゃけ、ピアノの先生が全員ピ
アノを【舞台】で【一人で】弾けるか、
といえば、
それはちょっと難しいと思います。
あ、自分の発表会で、1、2曲弾く、のは
演奏家とは言えませんよ。
忘れられないのですが、
昔、発表会をお手伝いに行った時のピアノの先生が
フランクの《コラールとフーガ》を模範演奏したのですが・・・
途中で暗譜がすっかり飛んでしまって
無限のループにはまって抜け出せなくなっていて
舞台袖でお手伝いをした私は
冷や汗をかいて祈っていました。
また別の先生は、ショパンの《幻想即興曲》で
出だしから、指がもつれて肉団子状態、
鍵盤から指が滑りまくって
何を弾いているか分からない、
といった演奏を聞いて、ハラハラしたこともあります。
実際、私の代では、
大学院を出ている人たちを見ても
ソロ演奏をしているのは、
彼女と私だけです。
ピアノは大学を出てからも、
練習しなければ途端に腕が落ちていく
特殊な世界、と同時に大変厳しい世界です。
ピアノ指導者にも、
自分のレッスンには行かないけど
指導法に関しては、
体験レッスンジプシーならぬ、
セミナージプシーばりに
あちこち登録している指導者がいますが、
結局、自分が弾けなかったら
どんなに勉強をしても、ある程度のレベルに来たら、
指導できないんじゃないかな、と思います。
だから、自分のレッスンを充実させたければ、
自分が演奏できる指導者になることが、
1番の解決法じゃないかと思いますよ。
私のレッスンに来ても
「今日は弾かないでいいので、レッスン法を教えてください」って言われることもあるんですけど・・
それ、本当、やめたほうがいいですよ。
「弾いてわかる」ことがほとんどですから。
さて、コンサート当日は、
久しぶりの外出ということもあって、
銀座のマリアージュ・フレールで、開演前までお茶をしました。
演奏会の開催は、場所選びも大切ですね。
素敵な場所にお出かけすることも含めてが、演奏会の楽しみですから。