ピアノ教室の選び方 2 《グループレッスンの記憶・水野の場合》

練馬区氷川台・桜台でピアノとチェンバロ教室主宰
チェンバロ奏者・ピアニストの水野直子です。
ご来訪、ありがとうございます。

 

ピアノ教室の選び方 1では、ピアノ教室は大きく分けて、『大手音楽教室』と『個人教室』の二つがあり、ピアノを始めて勉強する際、

  • 『大手音楽教室』はグループレッスンから
  • 『個人教室』は、基本的に講師と生徒のマンツーマン

ということを書きました。

 

音楽で身を立てているというと、生まれながらにお嬢で、リッチで、音楽一家で、苦労知らずで、好きなことばかりして、その上留学までして、好き勝手生きて(だから結婚も遅くて・とか 笑)、などと想像される方が、どうやらいるようなのですが

私はお嬢様でもなく、音楽一家でもない、ごくごく普通のサラリーマンの一般家庭出身なんですよ。

そして、今では想像されないほど、静か〜〜、で、ぼんやりした北九州という町のはずれにある田舎の子どもでした(笑)

 

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北九州は、太平洋ベルトの西端、北九州工業地帯のある場所です。八幡製鉄所のある「鉄の町」またその昔は炭鉱の町でもありました。

北九州市民の皆さんには申し訳ありませんが、当時から「芸術が育たない街」と言われていたようです。

両親は北九州市出身ではなく、仕事で北九州に出てきていたところに知り合い、結婚。音楽家ではありません。

両親は、まさか自分たちの子供が音楽家になるなんて、思ってもみなかったんじゃないかな。

 

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こんなごくごく普通の家庭に生まれた私が音楽を習い始めたのは、幼稚園時代から。

この頃に3年保育が始まったようで、私も3年保育で育ちました。

でも11月生まれの私が幼稚園に入学したのは3歳。体は小さく、引っ込み思案で、字も読めなかったため、忘れ物ばかりする子どもでした(今思うと、私、かわいそう・笑)。

泣き虫で、お弁当も食べるのが遅くて、集団行動ではいつも取り残されていたのですが、音楽の時間だけは、楽しそうに大きな声で歌を歌っている、と、担任の先生から言われていたそうです。

この幼稚園は、放課後に、ある大手の音楽教室が入っていました。5歳頃、初めてそのことを知って、母に習いたいとねだったそうです。

 

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この大手音楽教室は、オルガンを使ったグループレッスンでした。

担当は若い先生で、先生がエレクトーンを弾いてくれて、それに合わせて歌を歌うのを、それはそれは楽しみにしていたのを覚えています。40年以上たった今でも、その曲は歌えます。(でもご結婚されて、すぐ仕事を辞めちゃいました)

 

レッスンメイトは、6人から8人くらいだったかな。各生徒には、それぞれ親が付いていて、先生は一人。

これは今も昔も同じようです。

レッスンは、はじめのうちは、すべてが新鮮で、それはそれは楽しかったです。でも月日が経つうちに、授業内容が物足りなくなってきました。

もらった教材は、1日で1冊すべて出来るようになっていたし。

これは私に才能がある、というのではなくて、全員が同じように進めるよう作られている、グループレッスンならではの教材の問題です。

早く次に進みたい私は、いつもフラストレーションを感じていました。

 

実は先週も、お子さまのグループレッスンに、まさにこの悩みを持つお母さまから電話相談を受けていました。

 

もし、グループレッスンで、自分のお子さんが、家でレッスン教材をどんどん一人でこなしていたら、そろそろステップアップを考える必要があるかもしれませんね。

 

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2020年秋 教室は桜台でリニューアルオープンします

詳しくはこちらでご紹介しています

 

子供さんは練馬区氷川台、平和台、桜台、早宮、光が丘、北町、和光市、文京区、葛飾区、豊島区、千川から、
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