楽譜に目が眩まないために
楽器を弾く人、というのは
私も含め「弾くこと」を追求する人であると言えます。
そして「弾くこと」を仕事にする人のほとんどは
「その楽器を弾くことが好き」
から始まっていることでしょう。
私の知っているある方は
小さな頃からピアノが好きで
ずっと音楽の道に進みたい
と思われていたにもかかわらず、
ご家庭の方針で有名大の法学部へと行かれました。
でも、どうしてもその夢が諦めきれず
大学を卒業してから、音楽の世界へ入り、
そして今は音楽を生業としています。
その方の底力が素晴らしいのは
言うまでもありませんが、
音楽というのは、
ここまで人を動かす力があるという証拠とも言えましょう。
でも、好きで弾いているものも
より深く追求しようとすると
ただ弾いているだけでは上達しません。
もちろん、練習すればするだけ
指は動くようになるし、
適切な体の使い方を勉強すれば
弾けば弾くほど、弾きやすくなって
もっともっと弾きたくなる。
でも・・・それだけでは飽き足らなくなるのです。
その飽き足らなくなった時というのが重要です。
それは「弾いているだけでは、自分は成長しない」と気付いた時だから。
そして楽譜の裏側を見たいと思った時だから。
裏側を見る習慣が、
最初から付いていればいいのですが・・・
でも、そうなった時こそが成長の時です。
その成長を促進するためには、
それぞれの時代において
作曲家たちはどう感じていたのか、
そしてその感覚をどう表現し、どう残したのか、
という「歴史学」のアプローチを使うといいですね。
「歴史学」として音を考える時は、
その音を人間の聴覚をはじめとする五感で受け止めた
人間(=作曲家)の音に対するイメージに
探りを入れていく作業を行っていきます。
私たちが弾いている楽曲はすべて、
その作曲家にとっては意味のある音であり、
また音楽史という歴史の中の音であるとも言えます。
ただ歴史学において、
「音楽」とは「直接残されざるもの」
として考えられてきたことは確かなことです。
また音楽学においても、
歴史的部分については
いかにして再現するか、ということが大切でした。
そしてその従来の音楽史には
「楽譜に目がくらむ」という言葉があるように、
楽譜に残されているからといって、
それによって演奏されるものが、
その時代のすべての音を表象しているわけではない、
という部分も含有しています。
だから、そこに、演奏者(プロ、アマ問わず)が
どれだけ弾いても
「何か納得がいかない」
というモヤモヤした気分になるのではないでしょうか。
もし今、あなたが
音楽をもっと深めたいと思うならば
楽譜と共に本を読みましょう。
楽譜に目が眩まないために。
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