2/1 イタリアで住んでいたお部屋 公開します!
こんにちは。水野直子です。
2/1は、7年の留学を終えて
成田の地へ降り立った日、ということで
色々と写真を見返しておりました。
そうしたら、家の写真が出てきましたよ!
わぁ、懐かしい〜!
という気持ちが起こって、
感覚派の自分は、その当時のおうちの空気感が
一気に戻ってきました。
私は、ミラノの郊外のRho(ロー)という町に住んでいました。
Rhoの町でお友達になった方々には
ずいぶん助けてもらったし、
可愛がってもらいました(^^)
これからは私の思い出話です。
よろしければ
おうちの写真を見ながら
お付き合いください♪
↓玄関を入ると、居間があって
奥に台所があります
こちらがお台所。
一人暮らしなのに、椅子が6つ。。。
で、お分かりに方もいらっしゃるかと思いますが・・
そうです・・私は、すっご〜〜〜く広いお部屋に住んでいたのでした!
このお部屋に住んでいた(というか、住めていた)理由はいくつかあります。
・まず、ミラノ市街ではなかったということ。
ミラノでこの規模のお部屋を借りるとなると
おそらく2000ユーロは軽く超えるはずです。
・大家さん(男性)が「楽器をおいてもいいよ」と言ってくれたこと。
大家さんは、チェンバロがどんな楽器かわからないにも関わらず、です。
この家は、大家さんのご実家だったのですが
ご両親が他界されたとのことで
初めて賃貸に出すことにされたんです。
で、料金は800ユーロ。
ミラノで、その当時800ユーロの部屋を借りるとなると
東京の、いわゆるワンルームマンション程度のお部屋の広さになります。
そこにチェンバロを置くなんて無理無理。
(当時はまだチェンバロも持っていませんでしたが、絶対チェンバロを手にする!って決めていたので、チェンバロがくる前提で家を探していました)
・大家さんは英語が話せた!
イタリア人で英語が話せるって、稀なんですよ!
どうやら大家さんはイギリスに3カ月の語学留学をしていて、
そのルームメイトが日本人だったそう。
当時、水野は英語しか
コミュニケーションツールがなかったので
これは本当に助かりました。
ということで、家の契約も英語でできちゃいました。
そんな偶然が重なって、
とっても居心地の良いお家に住めることになったのです。
↓トイレも広々あって、シャワーも浴槽もありました。
↓ベッドはダブルベット
一人でちんまり寝ていましたが。
そしてもう一つベッドルームがあって
チェンバロは、このお部屋に置いていました。
この写真を撮影したのは
帰国する日だったので、
もう、ものがなくて寂しいお部屋になっていますが
7年間、一度も引っ越さずに住むことのできた
このお部屋には
たくさんの楽譜と思い出が詰まっていました。
幸せな7年間だったなぁ!!
それからの12年も、
もっちろん!
たくさんの幸せを見つけましたけどね♡