イタリア留学の思い出あれこれ 留学準備 〜語学編〜

先日のガングリオンの記事を見てくださった留学先の恩師が、メッセージを送ってくれました。

「ミラノにいた頃からあったのを覚えているよ!絶対治ると信じて、がんばれ、がんばれ」

通奏低音のAntonio Frigè先生と

ミラノでもほんとに痛い時期がありました(2年目の夏だった)。
その頃はひどいホームシックにも悩まされていたので、精神的に辛かった時期でした。

ガングリオンがひどくなっちゃったからホームシックが押し寄せたのかもしれませんが。

ちょうどその頃は、ヴェネツィアのジョルジオ・チーニ財団から奨学金をいただいくことが決まっていたので、ヴェネツィアで行う演奏会の準備も忙しくて。

今思うと、アクセルとブレーキが一緒に踏まれていたような感覚でした。
でも、やっぱり、そんな経験も、幸せだったな。

実は最近、留学についての記録を残そうかと思い、インスタの方に書き始めました。
自分の記録のために始めましたが、予想以上に楽しんでくださる方がいらっしゃったので、ブログにもアップしようと思いました。

インスタをやらない方もいるので😉


イタリア語の勉強は、イタリアへ行くために、一番に考えたことでした



留学をしよう!と決めてから
まずはじめに取り組み始めたのは

🇮🇹🇮🇹🇮🇹🇮🇹🇮🇹🇮🇹
イタリア語の勉強でした。
🇮🇹🇮🇹🇮🇹🇮🇹🇮🇹🇮🇹

⁡語学がね。。もう壊滅的にできなくて💦

というか、弾くことで頭がいっぱいだったから、座学を疎かにしてしまっていたんですね。
これは本当は絶対にNG!

西洋の文化を学んでいるのに、西洋の言葉を勉強しないなんて、本当の意味でその文化に触れることはできないのですからね・・
(ああ、若い時の私って、なんて恥ずかしいやつなんだ・・)



そこで
私は、イタリア文化会館のイタリア語学校へ通うことにしました。


なぜこの学校にしたのか?というと


それは・・単に

授業料が安かったから🤩
(大切!)



私が留学準備をはじめたのは、2000年になるかならないか、という時期でした。

今では考えられないと思うのですが、その頃はやっと携帯電話でて、そしてメール機能がついて、という時代。
そしてデスクトップパソコンを買う家庭もちらほら出てきましたが、インターネット回線を引いている家庭は、まだまだ、ごくわずかでした。


確か、ネットの通信料金は電話の通話料と同じ扱いだった頃なんですよ〜
(ああ、なつかしー!まだまだワープロやポケベル📟の時代で、ノートパソコンなんてない、ない😆)

私はそのネットを駆使して情報を集めまくりました🔦

その当時の、イタリア文化会館イタリア語学校は、働いている人たちがすでにイタリアナイズされていて
(つまり感じ悪かったってこと・・・汗  今はどうなのかな?)

行くたびに、嫌な気分になってたな〜

若くウブな水野には、強烈な洗礼でした😚

現地はその何倍も苦難があったけど🤭
笑い話としていつか書くつもりです📝

でも、今では考えられないこともありました。
それは、イタリアの音楽家たちの住所と電話番号の名簿が見放題だったこと!
私はその名簿を見て、ラウラ・アルヴィーニ先生へお手紙を書いたのでした。

英語で。

だって、まだイタリア語ができなかったんだもの😂
23年前のことです。


今は、逆にそのイタリア語を、ずいぶん忘れてきているな、という印象です。

引退したら、本をもっとたくさん読む、と思っていましたが、その頃には脳が老化しているから、やっぱり今のうちにやりたいことをやっておこう、という気持ちになっています。

今日が一番人生の中で若いけれど、今日が一番年をとっている日でもあるからなぁ。

おっと、脱線が過ぎました。
続きは気の向くまま、またの機会に。

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