調律=心を整える

梅雨から蒸し暑い夏を過ぎたあたりで
そろそろピアノの調律を、と
考える方も多いと思います。

そこで今日は調律に関するプチエッセイを
徒然に書いてみたいと思います。

しかし、ここでは
調律法について書くのではなく
水野の愛するもう一つの世界である
図像学のアプローチから探ってみたいと思います。

調律をモティーフにした絵画作品

ウィーンの美術史美術館に
縦約50センチ、横約40センチの小さな板絵があります。

作者不明ですが
1515年頃のヴェネツィア派によって描かれたことまではわかっています。

リラ・ダ・ブラッチョという弦楽器を
調弦している男性が、板絵いっぱいに描かれています。

16世紀のヴェネツィア絵画には
多くの楽器が描かれており、
有翼の奏楽天使が楽器を奏でている様子も
数多くみられます。

ベッリーニ 《聖母子と諸聖人、奏楽天使》から奏楽天使の部分を抜粋 アカデミア美術館

今では無くなってしまった楽器も
こうした絵画に描かれていたことで
復元を果たした、という楽器もありますし

また、その演奏方法も
絵画に描かれている様子をみることで
当時の演奏スタイルが解明されるようになってきました。

こうした研究は音楽図像学の一つです。


再び始めの絵に戻ります。


男性は、楽器を耳に寄せ
調弦しているにもかかわらず
真っ直ぐこちらを向いています。
そのまなざしは優しく
そして少し開いた唇からは
今にも言葉を発してきそうです。

ふっくらとした右手は、
リラを支えるというよりも
そっと優しく添えている様子に
楽器への愛を感じさせます。

さて
この男性は、本当に調弦しているのでしょうか。

調弦の隠喩

実は、この絵はただ調弦しているのではなく
調弦という語に隠れた
隠喩を表現しています。

ラテン語で、弦は「コルダ」といい、
心臓を意味する「コル」とつながっています。

つまり、弦を調律することは
心を整えるということでもあったのです。

またイタリア語で「調律する」ことを
「アッコルダーレ」といいますが、
この語彙のなかにも、「コル」と「コルダ」をみることができますね。

さらに「アッコルダーレ accordare」には
「同意させる」「一致する」という働きもあって
会話の中でも「いい、わかった?」と尋ねられた時に
「もちろん! D’accordo!」と答える時にも
この動詞が使われます。

16世紀のイタリアでは
ルネサンス精神が円熟度を増し、
次のバロック期へ向かおうとしていた時期ですが、現存する以上にさまざまな弦楽器が存在していました。

(ピアノはもっと先になってからの登場です)

その様子は、絵画のなかにたくさん残っています。

この時代、弦楽器を調弦することは
「魂の調律」と考えられてもいました。

さて、ではこの男性が
調弦をしている姿を借りて
どの魂の調律をしているのでしょうか。

さらに観察を続けてみましょう。

楽器のスクロール部分をよくよく観察してみると
葡萄の葉が装飾されています。
葡萄は豊穣や酩酊の象徴です。
またリラは女性名詞でもあることから
この男性は楽器を女性の象徴として
扱っているのかもしれません。

美しく音を調和させることは
心と心の調和、すなわち愛の一致を象徴しています。

ということで、この男性はそのまなざしの先にある、この絵を必要としていた女性と心の調律をしていたのではないでしょうか。

神への愛

「愛」とは、人間と人間の結びつきだけではありません。

神への愛を表現する際にも
楽器が使われます。

ここで音楽の守護聖人聖セシリアと天使が描かれた
絵画をご紹介します。

サラチェーニ《聖セシリアと天使》 1610年 ウィーン 美術史美術館

この絵は音楽の守護聖人である
聖セシリアがアルチリュートを調弦しているところに
天使と遭遇している場面が描かれています。

彼女の左には精密に描かれた
ヴィオローネ(コントラバスの前身)、
その足元には、楽譜の下にバロックヴァイオリンが垣間見え
奥にはロマネスク様式のハープが
横たわっています。

絵の最下層の左側にはさらに
ボンバルダ(オーボエの前身)と
フラウトドルチェ(フルートの前身)が置かれています。

古来、神の世界には
調和の取れた心地よい音楽が流れていると
考えられていました。

あなたが行う調律は誰のために?

ここでそろそろ現代世界に戻ってきましょうか。

あなたの楽器は今、調律されていますか?
もしあなたが親ならば
調和の取れた楽器を用意することは
子どもさんへの愛の証となるでしょうし、

自分のために調和の取れた楽器を用意することは
自分を大切にしている、ということでしょう。

またあなたがピアノ講師であるならば
調和がとれ調整が行き届いた楽器を準備することで
生徒さんを愛している、という証明にもなるのかもしれません。


B, モンターニャ 《聖母子と諸聖人》 1499 ヴィチェンツァ

参考文献 
岡田温司 『イメージの根源へ』 人文書院 2014
S. Tofforo ‘Strumenti musicali a Venezia nella storia e nell’arte dal XIV al XVIII secolo’ Turris 1995


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