コンクールを受けるか、受けないかについて
今年はピアノの甲子園、PTNAコンペも、
コロナの影響を受けて、
中止になったり延期になった級があります。
「コンペが中止になって、ギャン泣きしてます」
という生徒さんもいました。
それを聞いて、私も胸が痛いです。
コロナ禍を生きる、ということは
今まで、普通にできていたことが
できなくなる、ということを
毎日のように、何んらかの形で思い知らされますね。
今日は、そんなコロナ禍における
ピアノコンクールについて書いてみようと思います。
ピアノコンクールは、子どもにとっては
学校では学べない「教育」のなかの
一つだと私は思っています。
もう周知のことですが
コロナはこうした「教育」格差を
ますます広げる結果となりました。
実は、私の夫はとある省の役人なのです。
彼は仕事に関する話をしませんが、
こちらが質問をすると
客観的に、次から次へと答えてくれるんですね。
私は彼を「歩く辞典」と呼んでいます。
先日、前から私がずっと感じていた、
「学校が休みだった時の過ごし方で
学力の差が、さらに広がっているのではないか」
という質問を投げかけてみたんですよ。
そうしたら、
「そうだよ〜、トップの進学校へ行っている子なんかは、学校の休み期間に、これで勉強できる、って喜んでるよ。僕も引きこもって勉強しまくるな〜」という答えが返ってきました。
やはり。
私も、「休みだ、勉強しなくていい〜!」
という人間ではなく
「やった、勉強できる!」って思う人間なんですよね。
そしてピアノ弾きまくって、
本を読みまくって、
この期間に知識の穴埋めをしまくるな、と。
ここで、コンクールの話に戻るんだけど。
夏以降のコンクールの開催について、
みんな不安だと思うんですよね。
そして、2つの選択に分かれると思うんです。
一つは「開催が取り消しになって、ウェブの評価になるんだったら、チャレンジ自体やめておく」というもの。環境重視型、と私は見ています。
二つ目は「開催されるか、ではなく、曲を仕上げる過程を大事にする。」つまり「目標を持って曲を仕上げることを、経験させる」という考え。
こちらの方は、開催して欲しいのは山々だが、開催できなくなっても、仕方ない、と腹をくくっているタイプ。自分軸型。
どちらの意見も、アリだと思います。
ここで一つ、私から
「日々のレッスン」と
「コンクールのレッスンの違い」
を書いておきますね。
判断の一助になれば。
実は、日々のレッスンというのは
「ある程度、ここまでできたら、
まぁいいでしょう」
で進んでいくものなんですね。
そして新しい曲を、どんどん経験させていく、というものです。
対して
「コンクールにエントリーする」
ということは
「曲の完成度を高める」ことに
ズバリ焦点を当てるんですね。
どちらも大事な勉強です。
だから、今、世界中がコロナ禍で
生きることを模索している段階で、
どこに焦点を当てた教育をしていきたいのか、
ご家族でしっかり話し合ってほしいと思います。
私は、どちらの意見も尊重しています。
こういう世の中ですからね〜。
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