ピアノの先生が「ピアノの先生」であり続けられる事は「家族からの理解」が必須
ピアノの先生の結婚相手と
音楽家の結婚相手の両者に共通する普遍の理解は
「家のなかで音を鳴らせるか」。
この1点にかかっていると思います。
でもだからと言って
パートナーが音楽家である必要はないし
ましてやそのパートナーが
音楽をたしなんでいたことが過去にある
といった実績も必要ないです。
ただ大切なのは
妻の活動を理解できるかどうかです。
その第一条件が
家のなかで音を鳴らすことに理解があるか、です。
これ、ほーんとうに大切!
そこで、じゃあ、
防音室があれば
音を気にしない生活ができるのではないか、と思ったら・・
それはまた別の話なんですよね。
「防音室」を作るにしても「家族の同意」が必要です。
それが「自分でそのお金を出せる」にしても
たとえ6畳であったとしても
最低でもその部屋は、
両者が音楽家であったり、
夫の趣味がピアノを弾くことである、
ということを除くと
その部屋は妻だけの部屋になるわけです。
この部屋を、妻に快く「どうぞ」と言える人って
実はそんなに多くないんですよね。
こうした男性の理解のなさ、には
「妻の活動に理解がない」=「家のなかで音を出せない」
と言う図式が出来上がり・・
その根底には、ミソジニーも関わってくるわけですが
本ブログでそこまで切り込むつもりはないので
実際にどのような悩みが
私のほうに寄せられているのかだけ載せておこうと思います。
「ピアノのレッスは、家族がいない時間だけしかやってはいけないと言われている」
「生徒を増やしたいけど、止められている」
「夫が帰宅した時に、料理ができていないと不機嫌になる」
「ピアノの音がうるさいと言われるので、練習ができない」
ect.
これがもう20年30年と続いている先生もいらっしゃるようで
こうした話を聞くと胸が痛みます。
ピアノの先生になる人の共通点というのは
小さい頃からピアノが好きで
家族もある程度応援してくれる家庭が多いと思うので
いざ結婚してみて
自分がピアノを思うようにいけない状態になると
自己肯定感がどんどん下がっていて
音楽以外の事でも
自分のパフォーマンスを全体的に出せなくなります。
「そういう人を結構相手に選んだあなたは悪いのよ」
という人もいるかもしれませんが
それは結婚しちゃったんだから今更言っても仕方ない。
そこをどうにかしたい、
変えていきたい、と思って
こちらへ連絡を下さるので、
とはいえもちろん私から答えを出すことはできませんが
胸の内を話すことで自分で答えが導けることがあるので
(というか、解決はそれしかない)
あまり時間は取れませんが
この冬はそうしたピアノ先生仲間のお悩みに耳を傾けていました。
かくいう水野もやはり結婚した当初は
なかなか勝手がわからずにいました。
結婚してもうすぐ4年目に入る今
やっとお互いの距離感と言うものがつかめたかなぁ
という気がしています。
8日はそんな夫の誕生日。
偶然にも我が父と同じ日です。
誕生日の夕食は
夫のリクエストの
プッタネスカ、というパスタと
数日間マリネ液に漬け込んでいた
カジキマグロのオーブン焼きなどで乾杯。
母は鯛鍋を作ったとか。
我が家は、私が繁忙期の時は
夕食を作らない、
お互いに外食をしたり出前を頼む、というスタイルですが
この日は休日だったのでなんとかちゃんと作れました。
でもね、誕生日のケーキは
私のリクエストで、
1月6日(エピファニー)に食べる(現在は1月中なら、いつでもOK)
フランスの伝統菓子ガレット デ ロワを
「夫」に買い出しに行ってもらいまして。
ガレット デ ロワのお菓子の中には
陶器の人形が隠れていて、その陶器の人形に当たった人が
その年の王又は王妃となるもの。
で、当たったのは水野!
わーい、やったね!とはしゃぐ50歳。
イタリアでは、魔女の日といって、
前年の行いが悪い子には
魔女が寝ている子供の枕元に墨置く、と言われていています。
良い子にはプレゼントが。
今日も色々と脱線しながらの文章になりましたので
そろそろ締めますが
とにかく
日々の生活と仕事の境界線をきっちり線引きすることが
難しいピアノの先生という職業であるかぎり
仕事の理解を相手に求め続けることは難しいです。
でも、逆に家で仕事をしている限り、固い頭の夫にその姿は見せられます。
家の中での会話を増やして
日々の困難を一緒に乗りこえる理解者として
共に歩んでいきたいですね。