日本へ帰ってきて15年が経ちました

1/31はイタリアから日本へ完全帰国をした日でした。

あれから15年かぁ。

帰国した日のことは、今でも鮮明に覚えています。

イタリアのことは大好きだったけれど「ここは私が一生を終える土地ではないな」と感じていました。

音楽家として、夢のような場所でたくさん演奏させてもらえたけれど、「生きる」ということは、ただ弾いていただけではできないことだな、と常々感じていました。

コネ社会のイタリアでは、日本以上にそういう根回し、というか処世術が必要なのです。

でも私も、イタリアで暮らしていた頃は、ありとあらゆる人脈に頼らせていただいて、普通だったらすぐに発行してもらない国の証明書などを、即日発行してもらえたりしたので、人のことは言えないけれど、まぁ郷に入っては郷に従え、ということかな。

だって、そうしないと生きていけないのだもの。

しかしそれがず〜っと、となると、果たして一人でどうやって生きていけばいいのかな?と思いました。

周りには、もうずっと私よりも前から音楽留学のためにイタリアに住んで、でも音楽では食べて行く事は難しいので、ツアーコンダクターをやったり、ブランド品の買い付けをやったり、旅行代理店の日本支社でバイトをしたり。。。そしていつもお金に困っていて、自分のレッスン時間が5分前に終わるとヒステリーを起こすような人も見てきたし。

お金に余裕がなくなると、時間にも余裕がなくなるのかな。って思ったりしました。

昨今の日本のピアノ教室でも、この手のことはよくあるようで、教室のお悩み相談でもよく話題にあがります。
どういうことかというと自分の子供のレッスン時間が、他の生徒さんのレッスンと比べて少しでも短いとクレームをつける親がいるそうなんですよ。

でもそれって、先生のタイムマネージメントの問題なのかな?
時間が余っちゃうのは、これ以上レッスンをするよりも自分で練習したほうが伸びる、と先生が判断することもあるしね。
平等、っていう言葉を取り違えてないかな?
どうしてレッスン時間が短くなるのか、人のせいにする前に自分でよく考えたほうがいいと思う。
レッスンしていただくための練習は足りているのかな?
立ち居振る舞いは、レッスン生として失礼がないかな?とかね。

他にも、自分がレッスン時間に遅れてくるのに、その分のレッスン時間の延長がほしい、って人もいるみたいで、世の中大丈夫かな?!と思うこともあったり。

おっと、話が脱線してしました。

閑話休題。

それでね、イタリアでは声楽を勉強しているのに、ツアーコンダクターで声を張り上げるから、1番大事にしないといけない喉が潰れてしまったりする人もいたなぁ。
それも1人や2人ではなかったから、なんだかとてもやるせない気持ちなったのを覚えています。

さて、そろそろ締めますね。

私はイタリアに行った目的が、「バロック音楽が上手くなりたい」だったのだけど、それが20代後半でした。

それで30代をイタリアで過ごしてきたわけだけど、その際に、10年ごとに人生が変わっていくな、と感じていました。
だから「30代をどう過ごすかで40代が決まる!挫けずに、決めたことは何がなんでも貫き通せ〜!」という意気込みで、とにかくがむしゃらに生きてきました。
(そのフラストレーションは全て食事へ・・75キロまで太った!)

次の10年は、日本へ帰り、イタリア留学の経験を活かして、日本での活動基盤を作り、その最後に結婚したんですね。

もうすぐ結婚から5年、ようやく結婚生活も慣れてきたところで、今は60代に向けての種蒔き中です。

花を咲かせながら、次の種を蒔くことができるといいなと思っています。

恩師が亡くなる前に「あなたにはもう会えないけれど、私との勉強を忘れないでね。春になったら花が咲くように、あなたにも花が咲きますように」と言われた言葉が、年々じんわりと、暖かく心に広がっていきます。

ミラノにて

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